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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
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閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
オススメ度 4.9点
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自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。源氏物語の大航海31帖 真木柱振り向けば愛 文責やすいゆたか。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。1144376-1.jpg。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。源氏物語の女君 狂乱の鬚黒(ひげくろ)の君の北の方さま | 伊勢。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。maxresdefault.jpg。現在の今上天皇と系譜がつながっている。今はとて宿離れぬとも馴れきつる真木の柱はわれを忘るな(源氏。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。紫式部に恋をして<二十二>源氏物語・和歌 真木柱(まきばしら。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。源氏物語の玉鬘ってどんな人?性格や容姿、髭黒との結婚を解説。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。Amazon.co.jp: 源氏物語(四)玉鬘―真木柱 (岩波文庫) : 柳井 滋。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。今書 2冊揃 蒲生君平 下野蒲生秀実 文久3年 儒学 尊皇攘夷 水戸学派 検) 戦前明治大正古書和書古文書写本古本 NY。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。渡辺直之編『新撰はうた部類』明治14年丸山幸次郎刊 俗謡 端唄歌詞集 明治時代和本。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。■送料無料■ 桂川玄渓 桂川流蘭学医学書 蘭学 医学書 医療本 医者 医学 本 和本 古本 古書 古文書 書 6冊 /くSIら/AA-2302。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。送料込み,1850年,1793年「野島流船軍筆記」1冊,文書16枚,船の図2枚,陣形図1枚 村上水軍末裔,能島流秘伝書,水に強い松明製法,各種縄について。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。Y3FJC-200710 レア[俳諧歳時記栞草 雑]歌仙の式 源氏の式。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。写本 人身生活機能位置網目之図解 利摂蘭度 安政2年 医学 明治期江戸期 検)西洋医学医術コレラ蘭学漢方学薬学薬理学出産学産婦人科 NK。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。HH-5284 ■送料無料■ 掌中官員録 明治8年 陸軍省 海軍省 琉球藩 他 政治家 名録 資料 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。また、各巻ごとの書かれた年については不明。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 阿部軍兵衛 元文五七月 三重六物目録 古文書。従って、応永五年とは、書き始めの年である。大石千引著 小山田与清序『野乃舎随筆』文政3年 耕文堂/伊勢屋忠左衛門刊 江戸時代和本 加藤千蔭に師事した国学者/歌人の随筆集。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。怪文書「田中 犬養両内閣 罪悪一覧表」犬養毅 田中義一 野崎政助 渡辺正雄 選挙妨害 パンフレット【24-0326-8】。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。嵐山故郷錦 巻一・巻二・巻三(全五巻の内) 畠山照月作 速水春暁齋画。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。写本 易行院講師 円南寺詞講師 天保3年 仏教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然密教 古書和書古本古文書 NR。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。超逸品珍品江戸期鎮魂帰神法文書神降ろし梓弓審神者神道英霊の声本田親徳陰陽道神道霊学オカルト。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。林肥後守忠英・小笠原相模守長貴・堀大和守親親・増山河内守正寧連名書状 大嶋雲四郎宛。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。f24022002〇錦絵 彩色木版画 東京明細図会 歌川広重 駿河町三井 富士山 三井銀行 三越 丸鉄板 明治初期〇和本古書古文書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。■『義經再興記(全)』徳島縣平民・内田彌八譯述。山岡鐵舟題字。明治19年第4版。上田屋發兌。ボール表紙本。■源義經=Genghis Khan説。。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。※よろこびの春 宮路吉甫喜寿祝歌集 滋賀県蒲生郡中野村宮路直一(現東近江市) 姉小路良子・宮内省御歌所寄人良大口鯛二・須川信行等。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。f240502008〇彩色木版画 広重 富士三十六景 東都あすか山 東京都北区王子 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。農業全書。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。●P340●千字文餘師●千字文余師●百年先生●誠徳堂●国字講釈●天保十三年●三河屋甚助●和本●即決。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。旅順駐留記念写真帖 第六中隊 大正時代。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。平林縫治・仲古谷津友吉・小野利世編 浪速短冊研究会同人跋『和歌の浦』限定300部 大正15年刊 古短冊集 宸翰から三遊亭圓朝まで。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。◆レトロ◆ 古書 短歌集 俳句集 ことぶき 清元全集 当時物 昭和 ヴィンテージ 明治・大正・昭和 14冊セット。第31帖。七五三ノ料理他作法雜録(仮題) 寫本 上州緑埜郡藤岡町稲荷社陰陽組頭/土御門殿配下生□左近。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。横山蘭蝶(津田蘭蝶)『断香集』文政9年序 絳雪吟窩蔵版 漢詩集 江戸時代和本 金沢の女性漢詩人 石川県金沢市郷土資料 横山政孝 横山致堂。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。1918年 支那 漫遊記 租界 生写真 革命党 満洲 総督府 張作霖 古建築 軍閥 督軍 中華民国大総統 段祺瑞 馮国璋 曹汝林 肅親王 梁啓超 大清国。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。人間奇話全集 : 精神科学 文化普及学会 編 大正13年 ☆変態心理/異常性格 変質者 脅迫観念 心霊 オカルト 戦前 B21yn。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。兵法雄鑑。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。女庭訓御所車。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。ykbd/220527/p60/A/100★古書 詩書古伝 1~34巻 12冊 太宰弥右衛門(春台) 嵩山房 宝暦8年。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。関伝吉編『ころころ雑誌』(4冊)明治12年聚珍社刊(秋田県茶町)明治時代和本 文芸同人誌。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。過去帳序 寫本 運敞 寛永廿一年七月日序。白楽天の有名な漢詩です。【洛座】詩林良材 全6巻揃 貞享年号< 和本 ◆13-16。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。百人一首女教訓 女教大全姫文庫 辞書 作法 教養 絵入 安永 下河辺拾水画 木版画 浮世絵 教育 江戸古文書 美人画 着物。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。法然説 洞空増註『難遂往生機并四障四機種種念仏往生機』貞享2年序 秋田屋五郎兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 浄土宗開祖。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。東洋閨範烈女伝。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。鳥羽絵三国志/享保五年の復刻/鳥羽絵は江戸時代中期に大坂で流行った滑稽な絵・京都・大坂・江戸の風俗と行事を描いている/和装本。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。小山田与清著 北条時鄰補『十六夜日記残月鈔』文政7年 出雲寺文次郎他刊 江戸時代和本。詳細な理由は下記説明欄に記載。垤甘度爾列氏植物自然分科表 田中芳男譯。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。顕意『一乗海義要決 二道血脈図論 二本合冊』文政2年刊 江戸時代和本 浄土宗 仏教書 仏書 菩薩蔵頓教一乗海義要決。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。昭和七八年度・練習艦隊巡幸記念/昭和8年/非売品/三方金/軍艦岩手・八雲乗組下士官兵/仁川・京城/宇垣朝鮮総督訪問/満州国訪問・溥儀執政。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。傳心録 徳川家關係寫本 天保九年六月/康圭公御本并借寫之。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【金富士】値下げ中 江戸期 17~18世紀珍品古書 写本(手抄本)『兵法雄鑑』52巻 著者 北条氏長 検/中国古書。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《「色に衣を」》・・・・・なむとのたま(宣)ひて、「思はすに
ゐて(井手)のなかみち(道)へた(隔)つともい(言)はてそ恋る
やまふき(山吹)の花かほ(顔)にみ(見)えつゝ」なとのたま(宣)ふも、
き(聞)く人なし。【昭和レトロ 希少】古書 新聞でみる七十五年史〜昭和前編 全四巻 定価10000円 北国新聞社 創刊75年記念 縮刷版 昭和四十三年八月五日発行。かくさすかに、もてはな(離)れたること(事)は、
此たひ(度)そおほ(思)しける。小野鵞堂書『小倉百人一首』明治37年 濱本伊三郎刊 明治時代和本 平安和歌文学 藤原定家。けにあやしき御心のすさひなりや。f240502017〇彩色木版画 広重 富士三十六景 相州三浦之海上 神奈川県三浦市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
かり(雁)のこ(子)のいとおほ(多)かなるを御らん(覧)して、
かむし(柑子)、たちはな(橘)なとやうにまき(紛)らはして、
わさとならす奉り給ふ。山々亭有人著『花暦封じ文 三編』人情本 彩色木版画入 江戸時代和本 絵入本 浮世絵。御ふみ(文)は、あま(余)り人もそめ(目)
た(立)つるなとおほ(思)して、すくよかにて、「おほつかなき
月日もかさ(重)なりぬるを、思はすなる御もてなし
なりとうらみ・・・・・《き(聞)こゆる》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。神武天皇御製井法 中臣祓本義 乾坤巻 甲斐/三木廣隆敬述。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《源氏の君と玉鬘の姫君、手紙のやりとりで旧交を恋偲ぶ》
《源氏の君は、紫の上の春の御前をあとにして、昔の女君(玉鬘の姫君)の
お部屋にお越しになりお庭をごらんになる。合信(ベンジャミン・ホブソン)管茂材撰『西医略論』(全4冊揃)安政5年桃樹園蔵梓 西洋医学書 医書 江戸時代和本 中国上海仁濟医館版翻刻。山吹が呉竹(くれたけ)の垣根(かきね)に
もたれていかにもしぜんな姿で咲いている、その花の色がまことに美しい。f24050717〇貫堂存稿 上下2冊揃 岩村八作編 帙入 大正4年 岩村道俊銅像建設記念に重刻されたもの〇和本古書古文書。
大臣の君(源氏の君)は、
(源氏の君)「色に衣を」》
・・・・・などと仰せられて、
(源氏の君)「不本意にも井手の中道が、わたしたちの仲を隔ててはいるけれど、
心の中では山吹の花―あなたを恋い慕っているのだ。まくり 松村呉春。顔に見えつつ」
などとおっしゃるが、聞いてくれる人がいるわけでもない。奥田頼杖著 平野橘翁編『心学道の話』(全二十四巻八冊揃)天保14年序 河内屋新七刊 江戸時代和本 石門心学 心学者 心学書。
こうして大臣の君(源氏の君)は、さすがに遠ざかってしまった人(玉鬘の姫君)のことを、
今はっきりと実感なさるのであった。蛙屋鷺岱『四季季寄いろは分 ぬくめ種 全』嘉永2年 菱屋弥兵衛刊 江戸時代和本 俳諧季語集 俳句 俳書。なるほどいかにも不可解な御戯れ心というものではある。アンティーク(明治から大正) 希少 長唄 勧進帳他多数収録 和綴じ本。
鴨(かり)の卵がまことにたくさんあるのをごらんになって、柑子(こうじ)や橘(たちばな)の
実などのような趣向で飾り、何げないふうにしておさしあげになる。速水春暁斎『絵本金毘羅神霊記』(全10冊揃)文化5年鶴屋喜右衞門他刊 江戸時代和本・読本 大坂の浮世絵師による絵入本。
お手紙は、あまり人目については、などとお気づかいになり、そっけなくあっさりと、
(源氏の君)「あなた(玉鬘の姫君)とお逢いしないうちに月日も重なってしまいましたが、
こんなことは心外ななさりようとおうらみ・・・・《申したところで、あなた(玉鬘の姫君)の
ご一存でもあるまいとうかがっておりますので、何か格別の機会でもなければ、
お目にかかることもできないのかと残念に存じております。曽我物語 全十二巻の内 巻二・巻三・巻四・巻六~巻十二 正保頃刋 献上本。」
など、いかにも親ぶった口ぶりでお書きになっておられる。g∞ 明治期 華山翁蘭竹画譜 乾・坤 2冊揃 明治13年 編・貫輪吉五郎 /E02。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。古屋芳雄『民族淘汰論』岸田劉生・武者小路実篤らと交友した作家 国立公衆衛生院長をつとめた公衆衛生学者。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
"The yamabuki wears the hue of silence,
So sudden was the parting at Ide road.
"I still can see her there."
He seemed to know for the first time―how strange!
―that she had left him.
Someone having brought in a quantity of duck's eggs,
he arranged them to look like oranges and sent them off to her with
a casual note which it would not have embarrassed him to mislay.
"Through the dull days and months I go on thinking
resentfully of your strange behavior.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
“不迷山路,将井手遮?口不,心恋棣棠花。栗山碧嶺編『周甲遺念霧海軒書画譜』大正15年刊 橋本関雪 小堀鞆音 野田九浦 菊地契月 横山大観 鏑木清方 西沢笛畝ら 還暦記念書画帖。
‘玉在目不能忘’也。曲亭馬琴作 歌川豊広画『雲妙間雨夜月』(全5冊揃)文化4年序 伊丹屋善兵衛板 江戸時代和本 読本 絵入本。”然而些吟咏无人听。長谷川伸旧蔵書 長尾半平『鴻爪所感』昭和7年 秋水社刊 著者直筆献呈署名入(長谷川伸宛)。
如此看来,玉鬘去之事,他到此刻方才信,
此心理甚奇怪。生写真 中国軍人 新四軍 八路軍 検索:支那兵 中華民国 共産軍 蒋介石 関東軍閥 国民党 日中戦争 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 北伐軍。他看里有多蛋,
便把它当作柑子或橘子,找个当的借口,派人送与玉鬘。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。
附信一封,深恐人看,不宜写得太,
但直率地写道:“一以来,日月徒增。!!貴重 明治古書●「徳川幕府刑事圖譜」(色刷版画)●各頁に画題(上部和文・下部筆記体英文)●藤田新太郎:編・画●神戸直吉:刊●。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。頭書図画遊仙窟鈔。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。光悦謡本『江口 上製本』慶長年間刊 拵帙付(森銑三自筆題簽「光悦謡曲本 江口 慶長中刊古活字版 上製本」)嵯峨本 江戸時代和本。冬姫は内大臣・通誠の養女。y2570☆ 江戸流行 料理通 八百善主人 永楽屋東四郎 和泉屋市兵衛 西宮弥兵衛 文政5 和装本 古書 古文書 和書。
冬姫は通称。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 巻物 一張弓 宇相是也 正法山紫賜僧開善前住 古文書 書状。正式な名は伊達貞子。『天台円宗四教五時西谷名目』(全2冊揃)江戸初期刊 天台宗 江戸時代和本 仏教書 仏書。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。寛政年中異國物語 漂民御覧之記 侍醫法眼/桂川甫周國瑞誌。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。サナエ550 江戸期古文書 小笠原流仕方百カ条覚事 79p 剣術 墨書 本物保証 越前府中旧家蔵うぶだし。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―36A
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。0028586 俳諧 饒舌録 上下 元木阿弥・著 江都書林・北島長四郎 文化13年。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。■希少 美品 1700年頃(江戸中期) 手書き華道手本巻物!三雅流挿花法式図(華道/いけばな) 「遠州流」)全長約5.9m、幅12.7cm。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。稲田吾山画『吾山画譜』(全3冊揃)昭和8年 水月庵蔵板(鎌倉)彩色木版画譜 山形県米沢市生 東京美術学校卒 寺崎広業に師事した日本画家。白楽天の有名な漢詩です。蕪村三十六歌仙 蕪村集 與謝蕪村。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【真作】「劇場訓蒙図絵」3冊揃 式亭三馬(著) 勝川春英(画) 歌川豊国(画) 和本 古書 和綴じ 木版 y2502。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。破提宇子 (はでうす) 木活字本 ハビアン著 迂菴老人跋。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。写真集 満洲 検索:満蒙 新京奉天 関東軍閥 溥儀 総督府 蒋介石 馬賊土匪 張学良 馬占山 生写真 古建築 民国 支那美人 帝国 川島芳子 張作霖。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。枯崖円悟『枯崖和尚漫録 全』(全3巻1冊)宝永4年 長村半兵衛刊 中国宋代禅門逸話集 江戸時代和本 漢籍 唐本 和刻本 禅籍。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。f23121610〇浮世絵 東京名所四十八景 浅草寺境内弁天山 時の鐘 昇斎一景 明治四年 蔦屋吉蔵〇和本古書古文書。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。長谷川伸旧蔵書 山田俊蔵・大角豊次郎著『近世事情』(7冊セット=初編-三篇)明治7年刊 明治時代和本 幕末-明治初期の内政・外交関係など。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 古文書 書状。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。紙看板 定宿びぜんや藤五郎。撮影後、展示のために再表装をしております。入江兼通(入江若水)『通俗両国誌』(全二十六巻二十冊揃)享保6年 蓍屋勘兵衛刊 江戸時代和本 中国史 読本 通俗両国志。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。嘉永五年八月尾花沢紫家青隣寺旅中寫本 新庄藩前侍医佐々玄達老人。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。泉花堂三蝶『諸鳥飼伝百千鳥』寛政11年序 塩屋喜助刊 江戸時代和本 飼い鳥の餌の製法や病気治療法など鳥の飼育全般を解説した博物学書。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。伊勢年季奉公請状之事。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。写本 喜多川義比口演『有機化学』明治26年 京都府立医学校(現・京都府立医科大学)有機化学講義録 京都府立医科大学附属病院薬剤部長。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。串田孫一 自筆書簡5通・葉書4枚セット(真筆保証品)結城信一宛 昭和43年-55年。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。近藤有芳画 南原桂処(南原薫)著『大成真写譜』(全2冊揃)明治21年寿泉堂蔵版 彩色木版画譜 博物画譜。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。662091「新撰 大日本永代節用無盡藏 全2巻揃」河邊桑楊舊 堀源入齊 須原屋茂兵衛 文久4年。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。諸病秘書 写本 医学 蘭学 オランダ 古書和本古本和本 江戸期 NC。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。書簡 朝比奈知泉 小林元茂宛 書生党 水戸藩。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。@1937年 朝鮮総督府鉄道局 交通図 検索: 軍閥 李朝 李王朝 古建築 生写真 日朝併合 満州 軍事地図 台湾 妓生美人 京城 司令部 関東軍 平壌。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。塗籠本/「伊勢物語」/池田亀鑑解説/古文学秘籍複製会編/昭和9年/古文学秘籍複製会発行/複製。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。長谷川伸旧蔵書 矢部甚一郎『歌集 雪代集』昭和15年 かぐつち社刊(本郷区根津片町)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。h∞ 明治期 旧金銀貨幣価格表 18丁 明治7年 和本 古書 /A06。母は後水尾天皇皇女女二宮。宇田川文海『春宵閑話新街夜作楽』明治17年 福島幾太郎刊(大阪府)明治時代和本(和装活字本)。実母は近衛家女房(瑤林院)。送料込み、1859年版。江戸時代の和本「阿蘭陀国条約並税則・日蘭修好通商条約」全1巻、金幸堂、綴じほつれ有、安政五カ国条約、不平等条約。幼名は多治丸。黒田行次郎『増補和解 西洋事情 附録』慶應4年序 村上勘兵衛刊 江戸時代和本 福沢諭吉関連貴重書。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。御手鑑 慶安四年辛卯仲春日開板 筆者/東利菴「花押」古筆了佐編。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。菅茶山著 木村渫庵校『筆のすさび』(全4冊揃)安政4年 太田屋六蔵他刊 江戸時代和本。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。高橋白山(高橋利貞)編 小野湖山題辞『征清詩史 完』明治30年高橋作衛刊 明治時代和本 日清戦争に関する漢詩集。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。参考関箇原軍記 目録共全8冊 (関ヶ原軍記) 羅中大雅館高木氏写しか。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。新田御一族船田一右衛門宛書状集 新田義貞 船田義昌。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。@1941年 支那 百話 検索: 汪精衛 蒋介石 関東軍 陸軍 国民党 憲兵 租界 生写真 革命党 孔祥熈 GHQ 満洲 総督府 軍備 軍閥 禁書 張学良 風俗。
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